0.3月31日の回想(削除の可能性あり)

僕は一体何がしたい?僕は一体何を果てに見たい?生まれてから今に至るまで、この『命題』が頭から離れない。幾らその場しのぎとして答えを出そうとも、いつでもどこでも僕自身に纏わりつく。晴れない、いくら解を出しても自分の中の違和感が残ってしまう。いや、違和感だけならどれほどよかったか。時を経るに従って非常に強力な不快感をも無意識のうちに生み出してしまった。誰にも分かってもらえない、誰とも共有できない。そんなジレンマも相まってなのだろう。二次関数、いや指数関数のように、僕の違和感と不快感は日に日に増大していく一方だ。それらの最大値は留まることなく増加し続ける。ああ、早くこの循環から抜け出したい。一刻も早くこの混沌から抜け出してしまいたい。しかし出来そうもない。『これは自身の解明すべき命題だ、故に自力で解きたい、なにより自分で納得がいく解を出したい。』、そんな欲望が願望の邪魔をする。大げさかもしれないが、この本能ともいうべき2つの思慮が、私を苦しめているのだ。全く、なんとも理解されない苦しみであろうか。だが不思議なことに、この状態を心底楽しんでいる自分も存在することもよく知っている。命題の解を得て、一部の事実という真理に到達し、それらを少しずつ結合させ、やがては全ての物事の真理を解き明かしたい。こんな常人、いや天才ですら不可能とでもいうべき業。そう言ってみれば、神の業とでもいうべき事柄を成してしまいたいという欲望を叶えたい、その境地に辿り着きたいとして、この人生を代償に成そうとするこの証明(生き方)を、僕は心底楽しんでしまっている。自らのこの行動があまりに虚無に満ちていると知りながら。
最近知ったことだが、以上の僕の性質から鑑みるに、『この杉下証悟という人物は、兎にも角にも如何なる命題も自力で解き明かしたくなる人物である。』と推定できる、と。そう、僕はある種の変人・奇人と呼ばれる人種の類なのかもしれない。研究者、解析者、発明家、熟慮家、この様な人物たちが持つであろう『真理への到達という欲望』、これがあまりにも強大なのだ。物心つく遥か前から、人間社会において迫害を受け、孤立を強いられ、孤独にならざるを得なかったほどには。そのような状況下で行ったことと言えば、自らの性ともいえる欲望を満たすことだけ。その欲望を満たすためだけに、自らの頭脳を酷使していった。次第に欲望への快楽を覚え、それによって孤立状態がさらに酷くなった。それでももっと快楽を味わいたい、この世の全ての命題を解き明かしてしまいたい。そんな欲望をも満たそうと更なる深みに嵌った。このころから、先述の命題に出していた自らの解に違和感を抱き始めていた。そんな違和感を抱きながらも、この快楽を得続けていき、ついには人間の心情や感情の解までも出せるようになっていた。だが、ここで初めて壁にぶつかった。それは、僕は感情というものを知らない、というものだ。いや厳密に言うと、頭脳では解は出せる。要は定数と変数の問題だ。それらを解析しその結果を読心術、メンタリズム、レトリック、自分の持つあらゆるツールを用いて推測をするだけ。頭脳ではたったそれだけのこと。だがそれを体で、所謂感覚で理解できているか?その証明に対して、完全にそうだという結論を、僕は導き出せないのである。唯一の望みでもあった背理法を用いても同じだった。そんな困難から脱出するために、今まで以上に頭脳を酷使した。だが何か満たされない。『理解できない』というどうしようもないほどの精神的苦痛。それから逃れようとするため、打開策として身体を鍛えはじめた。これで何かが変わるかもしれない、そんな淡い希望もあったのだろう。だが現実は変えられず、体得という感覚はつかめないままだった。もう何をすべきなのか、どうすればいいのか?案すらも浮かばなくなった。そこでふと、あの命題が頭によぎる。僕は何がしたい、いったい何を果てとしてみたい?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わからなかった。今までの解を入れても、思いつく限りの解を入れても、何とも言えない強烈な違和感と不快感は拭うことができない。私は初めて自分自身に嫌悪感を覚えた。そして後を追うように、こんな嫌悪感の原因の一端とも呼べるであろう人間にも嫌悪感がわいた。そしてそれは次第に強まっていく。そんな状態だったからか、人間に対し非常に否定的になった。さらに無意識に人間たちに対し罵倒をし始めてしまっていた。だが、時間が経つにつれこれが幾分かの快楽と頭が認識しまったのか。そんな人間に対し微かな加虐心が芽生えた。この状態に対し、私の頭脳の中はこの状態に至る過程を推測しつくしていたが、定かかどうか不明と悔しくも言わざる負えなかった。何しろ感覚の問題なので、いかに頭脳で近似値を求めても正解とは言い難いのである。こんな人間の状態、これを人間社会ではこういうのだろうか?社会的不適合者、と。まあ、この視点ではこれもまた一つの真理なのだろう。いささか早計であると判断しないでもないが。
さて、僕のこの日常、どうなるのだろう?学生生活の延長とはいえ、明日から高校一年生となるわけだが。果たして変わるだろうか?人間はよくこの時期に思想や性質が変わりやすいと聞くが・・・・・・。果たしてそれは僕にも適用されるのだろうか?難しいところではある、と判断せざるを得ないか。未来とは虚無だ、しかしそんな虚無に僅かでも希望を抱く僕は、人間だろうか?いや、それでもやはり人外なのだろう。何故ならこの希望を抱くもなお、現時点における感情が感覚によってでは不可解、という解を出し結論付けてしまっているのだから。
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